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三日坊主日記・改

終身コブクロファン宣言をした変人のブログ。 『コブクロのどっちが好きなの?』という質問は嫌いでしたが『One Song From Two Hearts』の札幌2日目で素敵な出会いをきっかけにコブクロファンからの質問なら平気……かな? になった小渕と黒田でコブクロでミノスケ社長プロデュースじゃなかったらファンにはならなかった自信あり!の『ミノスケ派』。「素敵ミノスケ」が最近の口癖。

   
カテゴリー「時事的な話」の記事一覧

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情報の一人歩きに便乗してゲスイ話をしてみる。

もう、昨日からネットを回っていると、少し歩いただけでもSMAP解散。キムタクだけ事務所残留か?というような、本当とも嘘ともつかない噂話が元で、ネット上では様々な憶測が飛び交っています。

私は嫌いではないし、むしろ好感を抱いては居ますが、SMAPファンでもキムタクファンでも無いですが、あまりにも「アンチ」と思われる人の「ここまで言ったら誹謗中傷やん」という言葉に対して、見るともなしにその記事を読んでしまったファンは、憤りを覚えるだろうな。とは感じました。

それと同時にサイト運営を始める前に、ネットを先にやっていた友人から「ネットには本当の事なんて何一つ無いんだよ。だから気をつけてね」と言われた事を思い出しました。

結局、今回のSMAP解散報道については、今現在、SMAPのメンバーからの心内については誰も語っていないわけですし、新聞の中にもネットにも、メンバーの気持ちはどこにもありません。

一番、状況を正しく理解している人たちの言葉は、まだ不特定多数の目に届く場所や、耳で聞こえる場所では明らかにされていません。

ジャニーズのイベントに過去、参加の事実が確認できない事についても、「SMAPの意思で『参加していない』」のか「SMAPは参加したかったのに『参加させてもらえなかった』」のか「SMAPの仕事の都合で『参加できなかったのか』」、それも分からないのに「言葉」を使って「情報」を提供する人達は、言葉のプロであるにも関わらず(しかも自分たちの飯のタネであるにも関わらず)、扱いが雑でファンの心中など考えずに「SMAPは今まで、ジャニーズの開催するイベントには参加していない」とまるで、SMAPが一方的に悪い様な書き方。

プロならファンが読む事も考えて、その事には触れないとか攻めて、「ジャニーズと言えば、ファンじゃなくてもSMAPを連想するほど、事務所の看板で合ったにも関わらず、不思議な事にジャニーズの主催するイベントには参加した過去は無い」とか、そういう書き方をすれば、事務所、SMAP双方の都合があっての話かな? となるのになー。とか読みながら感じた次第です。

情報を売って生活の糧を得ている人達はもちろん、情報の取り扱いについては注意を払い、自分の書く内容がどれだけの人にどのような影響を与えるか。については、少し、読み手の気持ちを想像して、自分の書いた文章を第三者の目になって、客観的に確認した上で公表する必要はあるでしょうが、私たちの様な素人であっても、こうしてネットを利用して、全世界に自分の考えを書き込むことで伝える事が出来る時代になっている以上、それを『ひとごと』とは思わずに、自分も同じかもしれない事は想像した上で、自分が書いた事を『自分の事を何も知らない誰かが読んだら』と客観的に確かめて、人の気持ちを想像した上で、書き込める冷静さは常に持ち合わせていたいな。と感じたSMAP解散しちゃうかも。という情報で改めて考えさせられました。というお話でした。

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「美味しんぼ」が伝える表現の自由について

古本屋で地道に買い集めた「美味しんぼ」を後輩に貸したら、返ってこずに「返してよ(10回以上目)」と言ったら、「離婚した嫁に慰謝料の一部として持ってかれたんだから返せなくても仕方ないじゃん。それに古本なんだからまた、1巻から買いそろえれば良いじゃん」と言われて1巻から100巻まで盗難にあったため、もう買いそろえる気もなく、読む気も失せたので現在は読んで居ないのですが、今回の福島編はいろいろと噂になっていますね。
ブログで原作者の雁屋 哲さんが「批判は作品を全部読んでからにしろ」的な事を書いたそうですが、それに対して岩城 滉一さんが「批判が来るのが分かっていたなら機械(ブログ)で反論するんじゃなくて表現者なら自分の作品で反論しなくちゃ」と言っていましたが、私もまさにその通りだな。と感じました。
そして松本 人志さんも都度、漫画や小説などでこういう批判が起き、社会問題になってしまうことについて「(作品の)世界においては(読者ではなく)作者が神様なわけですから、その事について読者が間違っているとか直せというのはおかしいと思うんですよ。あくまでもこの人がそう思っている事を描いているだけであって、それを変えさせようとするのは、作品のテーマや内容がぶれておかしくなってしまうでしょ」というのにも同感です。
また、漫画や小説、ネットの書き込みについても読む、読まないを決める自由は「読み手」に委ねられているわけですから、自分にとって、気に食わない内容であれば、文句を口にする前に「読まない」という選択もあるわけです。
それを読んで何を思うのかについては、読み手のモラルに問う物であって、「風評被害に繋がるからやめろ」はやはり何か指摘する点がずれているようにも感じずにはおれません。
また「表現の自由」について語った弁護士の方も「多くの人の目に触れる場所で誰かが何かを表現すればどこかで必ず傷つく人がいるのは覚悟の上で表現をしなければならず、表現をする人は傷つけられた人からの反論をちゃんと聞く覚悟が必要です」とおっしゃられていたのですが、私自身、素人とは言え、ネットでこうやって発言している限り、プロではないし言葉足らずや言葉遣いの悪さによって誰かを傷つけている可能性は山のようにありますし、その事によって誤解が生じて批判が来たとしても「自分の表現の仕方が悪くて真意が伝わらなかったんだろうな」という意識を持って、そういう言葉に対しても自分の至らない点について大いに反省しなければならないな。というのを感じたわけです。
元々、食文化を通して時事的な事柄についての個人的な考えを伝える内容を含んでいるため、都度、何かと問題となる事が多かった作品ですが、岩城さんの「2年取材した。というのなら、別に(原発事故が起きた後の)今、『福島』じゃなくとも別な地域の原発でも良かっただけで、福島を自分の漫画の宣伝に使ったというのは、ちょっと卑怯なんじゃないの」という意見にも同感です。
それこそ、敦賀原発やもんじゅなど問題を抱えている原発も多くありますし、これから建築予定の新潟や北海道(函館)、後は核廃棄物の投棄場所の問題を取り扱うのでも良かった話なんですよね。原発批判をしたいのであれば。
それこそ表現の自由です。本当の知識として知っていればこそ、いくらでも知識は応用が利くのですから。
それができないという事は、結局、「ちゃんと取材した」という点の「ちゃんと」は「ちゃんとした」と思っているだけなんじゃ。とも思わずにはおれません。
福島を取り扱うから風評被害を必要以上に招く恐れもありますし、辛辣な批判がきたり、最後まで読まずに怒りだす人がいたとしても文句は言えないでしょう。
なので、本当に雁屋さんが「福島の風評被害をなんとかしたい」という意志で今回の福島編を書いているのであれば、本当に福島編が終わってからブログに作品についての事を書いてもらいたかったな。というのを感じました。
もっと言ってしまえば、自分が正しいと思い、賛同者がいる自信があるのなら批判が来たとしても、それに対しては「それ」として受け入れて、その事については作品で描いたから改めて言わなくても良いや。と語らないでほしい。という気分もありますが。(個人的に)
批判が来たから、それについて言い返す。というのは、批判している人たちにとっては「痛いところをつかれたから言い訳にそうやって自分のやっている事を正統化したいんでしょう」とその行動の意味を間違って捉えられたりしても文句が言えない事ですし。
言い返す時間が無駄だし、それによって喧嘩になった場合は更に無駄な時間を費やすだけなんだから。とも感じた次第です。

「美味しんぼ」の内容は読んでいないので何とも言えない事ですが、こういう問題が起きた時に「自分とは関係のない事」と思うか「明日は我が身」と思うのか。
今はこうしてネットを通し、自分の考えを自由に不特定多数の方の目に触れる場所で発言する機会が素人であっても与えられ、発言するかしないかの選択も個人の判断にゆだねられているわけですが、やはり、発言する以上は肯定的な物であっても否定的な物であってもどちらも等しく平等に自分にとっては大切な、人からの教えと受け入れて、最後まで自分が発言した言葉に対して責任を負う覚悟が必要です。
他の方のブログを読んでいると自分のブログ記事に批判が来たり困ったチャンが来た事にキーキー目くじらを立てているブロガーさんの記事を見ますが、そんなことにイチイチ目くじらを立てるよりも、自分の書いた文章に誤解を招く表現がなかったか確認した方は早いのに。と思いつつ、自分も同じマネをして人間性の醜さをブログを通して多くの方に見られないようにしよう。と堅く誓うばかりです。

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インターネットにまつわるエトセトラ

自分もネットを初めてまだまだ知らない事もあるし、初心者だよな。と感じながら、こうやってブログやつぶやきをしているわけですが。
(そしてブログを始めた頃の2006年3月から2010年10月にauoneBLOGのサービス終了に伴ってこちらに引越しするまでの間、毎月最低1記事は上げていた事実に……。ちゃんと毎月、くだらない内容も書いていたのにね。と遠い目)。
ツイッターは短文力が鍛えられて良いのですが、長文をでしか伝えることしか出来ない内容もあったり、ネタばれ禁止の内容はつぶやけなかったりするので、ブログをきっぱりやめる事も出来ないもどかしさ。
そんな感じで最近はつぶやきすらもないのですが、とにかく、まだまだ初心者気分ではありますが、過去のブログなどを読みながら、ついつい、最近ニュースなどで目にするようになったネットが絡んだ犯罪行為について、自分も他人事ではないな。と改めて感じる日々です。

この間もネットを介して紹介されたベビーシッターに預けていた子どもが殺されるという事件がありましたが、報道の仕方がどうも偏っていて納得できないというか、首を傾げるより他にありません。
確かに子育て中の女性が子どもを預けて仕事に専念できる環境が整っていないから、こういうネットを利用して子どもを預かってくれる人を探さなければならない現状もあるでしょう。
実際、今の30代半ば以上の女性で結婚していない人の大半は、仕事が楽しいし、職場である程度の地位を築いているからそれを結婚して、家庭を持つ事によって今まで仕事中心の生活から家庭中心の生活に代わる事に抵抗がありますし、その上、子どもが生まれるともなれば休まなければならなくなり、復職できるかどうかも分からない状態では……。というのもあって、そういう育児をしながら仕事を続けられる環境を整えれば、晩婚だったり少子化問題にも少なからず良い影響を与える事になると思うわけですよ。
草食系男子が悪いとか、そういう話は別な事でそれまで築いていた会社の中での自分の地位を捨て(る……わけではないのだけど)てまで結婚したり育児に専念するメリットを感じられないというのが。という話をすると、女性の男性化が激しくなっているとかそんな話になるそうですが、私の個人的な感想を言えば、そのくらい会社の仕事にも責任感を持ってやっている人じゃなければ今の時代、家庭に入ったとしても女性は妻の役割も母の役割もちゃんとこなせないと思うわけです。
そして家庭の外に出て家族の知らない仕事に夢中になる自分、とか趣味に夢中になる自分、そういう妻や母の役割を忘れられる瞬間が無いと、逆に良い妻、良い母にはなれないとも思うのですよね。

少し話が脇道にそれてしまいましたが、確かに女性が仕事と育児を両立するのは今の日本では難しい環境だというのは認めるのですが、それと今回の「ネットを介して子どもを預かる資格を持っていない見ず知らずの相手に子どもを預けていた」母親を擁護して良い話にはならないと感じるのです。
お金を払って子どもを預けるのなら、やはりちゃんとした資格を持っている人に預けたいし、それと同時に身元がハッキリした相手に預けたいというのが普通の親の心情でしょう。
そして、こういう子どもに対する責任感のない一部の若い世代の親のために「最近の若い親は」とか、子ども中心の生活が出来ている若い世代の親が「最近の若い親にしては珍しく」と言われてしまうのがどうも、低示の人間と高次の人間比べて、高次の人間の価値を貶める失礼な事を言うな。と思うわけです。
まあ。年相応の常識を兼ね備えずに自分優先で子どもの気持ちを無視してしまう親は、昔も今も変わらずに同じくらいの割合でいたはずです。
なぜなら、子育ての仕方は自分の親から学ぶ物ですし、そうやって自分(親)中心の生活をしていて、子どもの事は、自分の私有物か人形かおもちゃのように扱う親というのに育てられた子どもが親になれば、子どもとの正しい接し方が分からずに同じ事を繰り返すのは当然の話です。
良い親の手本を親が示してくれずに子育てに苦しんでいる親が居るのは今も昔も同じ事。
親のせいで子育てに苦しむ親の事がこうして連日目に見えるようになり、「最近の親は」と言われて、眉間に皺を寄せられて、汚い物でも見るように差別的な扱いを受けるというのは、現代が情報社会と言われる世の中なので、昔ほどそういう親の存在を隠すことができなくなった。というのが正しいような気がします。

ただ、この母親は過去のブログの記事で、殺された子どもが乳幼児だった時に授乳を求めて泣くのに対して「いやがらせか!」とか言ってしまえる母親ですから同情出来ないし、子どもを殺されて直後にテレビの取材を受けられる精神状態というのも、こう言ってはなんですが、この人は本当に大丈夫なのだろうか? と精神的な面や人間性を疑わずにはおれない。というのもあって、被害者なのに同情出来ないんですよね。
なんて言うか。子どもの命にも関わる事なのに、安易な考えで取った行動の結果ですし。
本当に信用しても良いのかどうかについては、自分で調べて確認するという事はネットに限らずどこででも常識的な話ですし、現実的な物の見方や考え方が出来ていれば、防げた事でもありますし。
しかもネットは人の弱みに付け込んで犯罪に情報を悪用しようとする人もゴロゴロいるのに、その中を疑う事もせずに安易に信用してそういう事になっているわけですから、同情できないんですよね。
あとはコテハンしか知らない男性に自分の子どもを預けられる、その警戒心の無さにも同情出来ないのですよ。
文章でならいくらでも良い人ぶる事なんて出来るではないですか。
(はい。そこ。「お前が言うのか」と笑ったの誰ですか。アメリカだろうがカナダだろうが時差など気にせず、日本時間と真野(の気分)時間でメールを送りつけますから、覚悟をしておくように!)。
実際、対面している時よりはネットの方が詐欺行為は簡単に出来るし、嘘もつきやすいですしね。
ネットの情報をうのみにするのって危険ですよね。
後は自分の友達にメールを送る感覚でブログやツイッターをやってしまう人や、友達や恋人に家族の許可を取らずに勝手に個人情報を垂れ流すのはどうなのだろうか。というのも疑問を感じずにはおれません。
子どもの顔が判別付く写真を公開している方は、あなたにとってかわいいお子さんを、他の方もかわいいと感じるのは当然の話ですし、それを自慢したいのも分かります。
その写真を見て、お近づきになりたいと、子どもをストーカーする人や子どもが望んでもいないのに襲われる。という事もありますから、犯罪に悪用されないように子どもの身元が判別できるような写真や情報を公開しないようにしてくださいね。
読み手も気分が悪くなりますし。
前に「子どもをネット犯罪から守ろう」というリーフレットに写真や個人情報をネットに書き込むのは電柱柱に自分の写真と住所の書かれたビラをはりつけて回るような物。という事が書かれていましたが、そうだな。と納得しました。
また、親が子どもの情報を子どもの許可を取らずに勝手にネットで垂れ流していたら子どもが同じ事をしたとしても、親が注意を出来ませんよね。
少しは読む人が「え? マジ。そんな情報をここで話されても私関係ないし、それよりも知らん人が読んでも楽しい内容を書いてよ」と思う事も以前よりも増えたのは事実です。
って。ネット歴たった8年の人間が言うのもなんなんですがね。
自分もよく人から怒られので人の事は言えた義理ではないのですが、それでも危機感ないな。というのを感じているのは事実です。
自分の発言によって周囲に与える影響を考える事ができない人は、自分の行動が周囲に与える影響についても考える事ができないと思うのです。
それこそ孔子の「有言実行」、「不言実行」の話ではありませんが、心と行動と言葉は三位一体ですから。
いや。本当に愚痴や悪口や個人のプライバシーを侵害するような内容というのは、人の目に付かない場所でひっそりノートに書いたり、非公開記事で書いてみたりすれば良いのに。と思うのです。
読んでいて気分の良い物ではありませんし。
そしてそういう、「これ、人に読ませても大丈夫な記事なの?」という記事内容を確認した時には、自分も気をつけないと、家族や友人、自分が大切にしている「誰か」を傷つけたり、「誰か」に迷惑をかけるよな。と反面教師として自分も同じ事はしないでおこう。と感じるばかりです。

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悪気が無いからゆるして。というのは……

小保方さんが「悪気があってやったわけではないので許してください」とSTAP細胞の論文や発見などについての一連の不正行為について会見していましたが、それってカンニングして満点取って常にトップを取っていた人がばれた瞬間、「カンニングが悪い事だとは知らなかったんだから良いじゃん」というのと同じです
悪気が無ければ、知らなければ悪い事をして良いのではなく、悪い事は悪いし、ダメな物はダメなのです。
そんな事を言っていたら、浮気をしていた恋人や配偶者が「そんなに傷つくなんて知らなくて」と 言えば浮気されて傷ついた相手が許すのか、万引きや人殺しにしても「え。悪気なくやった事なんだから許してよ」と、それで許して良いのか。という話になります。
その事については誰でも「それは許されないでしょ」と分かる事で、結局何が悪いかと言えば、そのために期待をしていた人たちの期待を裏切ることにもなるし、その事によって助かる希望にすがった人の希望も断たれる事にもなり、結局、ちょっとした出来心でついた「嘘」によって人の人生や命にまで大きく関わる問題を起こしたというのが悪いのです。
そして、自分が嘘をついている事にも気付かずに、人を傷つけた事にも気付かずに居る、その罪悪感の無さに、怒りを感じたり、何が悪かったのか分からない常識の無さに対して「この人、怖い」と人から避けられるようになるのです。
この「悪気なく悪い事をする」人とは誰だって自分までも犯罪行為に巻き込まれる可能性があるので付きあいたい人ではないのです。
それこそ「知らなかった」で自分まで済ませてしまえないからこそ、常識や良識のある人は、無意識で悪い事をしてしまう人とは距離を置いてしまうのです。
そうやって自分から人に嫌われる事をしていたのに、「私、悪くない」というのは、小保方さんに対して、あまりこういう感情は抱きたくないのですが「哀れだな」とも感じてしまいます。
そもそも本当にSTAP細胞があるのなら、言葉で反論しないで結果で証明すれば良いのに。とも思うのです。
そこで食ってかかって行けば、何も知らない人たちは「やっぱりないんだな」と思うわけですし、証明できないからこそ、そうやって言葉だけでごまかそうとしてるんだろうとも思うわけですよ。
まさに「否定は肯定」と取られるという例ですよね。
もちろん、この事についての全責任は、その上に立っている「理研」ですし、トカゲのしっぽ切りのように小保方さんを切り捨てて、自分たちの責任逃れをしようとしている事については絶対に許してはいけない事です。
それを許してしまったら、理研の中で真面目に研究している人、していた人、実績と結果を残してきた人たち、その事によって理研の信用を保っていた人たちと保って行く人たちの信用問題に関わるからです。
税金を使って国や果ては世界のためになる研究をしている人たちが、本当に人を助ける事の出来る世紀の大発見をしたとして、それが一部の人間の利益追求をしたために全て信用されなくなる可能性があるのに、「私悪くない」的なあの発言は感心できないな。とか、頭が良い人なのにこうやって自分が所属している組織の仲間の事を考えない自分勝手な発言はどうなのかな。と自分もそうなる可能性もあるので、その事については反面教師としてみています。
まあ、私は頭が悪いし責任者の地位でもないので、そういう自分悪くない、人が悪い。と言ってしまいやすい立場でもありますし。
そして、失った信用というのは、言葉で語った所で回復する物ではありません。
「STAP細胞」が実在するのであれば、ちゃんと、理研とは関係のない人に的確な指示のもと、「誰にでも作り出せる」事を証明するべきです。
こういう時、やはり言葉よりも「実行する事」の方が重要だな。とも感じた事件です。
結局、知識のない人にとっては「STAP細胞」がどういう物なのか。という事よりも、どうしてそういう自分の信用を失墜させ、人間性を疑われる事をしてしまったのか。そして、理研も自分たちの信用も失う事になるのに、どうしてそういう事を「させたのか」。という点が気になるんですよ。
(よく考えると、理研もブラック企業じゃないのか? 部下を全く思っていない点や自分たちの組織の信用なんて考えていない一部の人間が自己の利益追求をするために「理研」という組織の名前を悪用している点で)

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ソチの浅田選手の話。

今更感のある話ですが、ソチオリンピックの浅田選手のお話です。
※浅田選手絶賛の話しかありませんので、ご理解いただいた上で読み進めてください。(少し下げてからの記事になります)。













今朝の新聞で「金メダルよりも価値のある物。なんて言って居るから日本はメダルが取れないんだ」という投書が寄せられた。という話もありましたが、私は浅田選手が「私、フィギュアスケートが好き!」と好きでスケートを滑っている姿を見るのが好きなので、メダルは取ってほしいはほしいけど、何よりも楽しんでいつも通りの演技をしてもらいたいな。というのが願いでした。
もちろん、「オリンピックでトリプルアクセルを跳びたい!」という浅田選手の夢に向かって、ひたむきに努力する姿にこちらも勇気を与えられて応援しているというのもありましたから、出来ればショートで1回、フリーで2回、合計3回トリプルアクセルを成功させたい! というその夢をかなえてもらいたいな。というのもありました。
結果としてショートでは無念の16位でしたが、その後のフリーでの10人抜きという偉業はやはり讃えられて当然ですし、浅田選手自身も言っていましたが、バンクーバーの時とソチの時とでは涙の意味が違うというのもまた、感動的でした。
バンクーバーの時は悔し涙で、今回のは自分を出し切ったという満足した涙。
ここには雲泥の差がありますし、その素晴らしい演技ができた背景には、浅田選手のお姉さんの舞さんから「浅田真央の演技はあなたにしかできないんだから、気持ちを切り替えてちゃんとしなさい」という激励や佐藤信夫コーチの「何があっても助けに行く」という話からの「トリプルアクセルを1回跳ぶのは良い。でも、2回はダメ。コーチも妥協をするのですから選手も妥協をしてください」。という競技前に話をしたというエピソードを読んで、コーチはその時一回しかない本番で、どれだけ選手がその時持てる自分の実力を出し切った演技をさせるのか。
そして自分が満足のいく結果を出し切れる事を望んでいるか。という事を感じました。
それと同時にショートのあの結果に対して、自分の事のように悔しい思いをしたのだろうな。とも。
やはり、一度しかない本番。
その時の自分の実力に合った最高の演技をしてほしい。というのは、コーチはもちろん、応援しているファンもいっしょなんですよね。
そういう意味ではコーチというのは、選手の最も間近にいるファンなのでしょう。
佐藤信夫コーチがテレビの特番で浅田選手についてコメントをしている際にも、トリプルアクセルを跳ばせなかった時期の報道で「封印」と書かれていた事について、憤っていた事でもよくわかる話です。
またファンとして、金メダルを取ってほしい。という気持ちと自分が満足いく結果を残してほしい。というのは、全く違う感情なんだよなー。というのは個人的な感想なのですが、唐突にこういう話をしてしまうのは、6位に終わった結果だけを見て、会社の同僚が「やー。真央ちゃん、メダルが取れなくてかわいそうだったね」と言われたからです。
「メダルが取れなかったからかわいそうなのではなく、本来持っている実力を出し切れないショートの結果が残念だっただけ! だいたい『かわいそう』って、何その上からの感想は」と声を大にして言いたかったのですが、同僚が個人的に抱いている感想を否定するわけにもいかないので、「今回の結果に納得できなければ、浅田選手は競技を続けるんじゃないかな?」と返したら、「それってメダル取るまで辞めれない。みたいでやっぱりかわいそう」と。
いやいや。そうじゃないんだけど。というのは思うだけにとどめました。
ショートでもっと、固くならずに、トリプルアクセルにこだわらずに、金メダルとかメダルにこだわらずに、自分が楽しむ事を優先していたら、もっと突き詰めて言ってしまえば周りが過剰にメダルを期待しなければ、もっと違った結果になったのかもしれない。と思うと、本当に悔しいとしか言いようがない。というのが私個人の本音ですが、メダル取れなかった。=かわいそう。というような人には何を言ったとしても伝わらないだろうな。と言葉をぐっと飲み込みました。
そりゃあ、努力しているのも知っていますから、メダル取ってほしいはほしいですよ。
人からその努力を認められた証拠とも言えるんですから。
でもメダル取る事だけを目標にしていたら、どんな手段を講じてでも取れりゃ、それでいい。的な選手が出てきてしまって、メダルの価値が落ちると思うのですよ。
やっぱりメダルを取るなら実力で。しかも自分が満足いく演技をした結果で。その時の自分の満足いく演技をした結果とそれまでの努力の成果を認められてのメダルを取ってほしいのですよ。
なので今回は、浅田選手自身が緊張していた事もあり、自分らしい演技ができずに逃した事が本当に悔しい。というのがね。
まあ。個人的な感想を述べれば団体戦っていらなくね?というのが。
団体戦に出場した羽生選手が金メダルを取ったので何とも言えない所もありますが、女子のフィギュアスケーター金メダリストと銀メダリスト(とは言え、韓国は選手数が少ないので難しいでしょうが)が、どちらも団体戦に出場していないというのが。
(日程を個人戦と団体戦、チェンジすればもっと良かったのかも。という話をフィギュア好きの人としてみたり)。
(コストナー選手が好きな私としては、彼女が銅メダルを取った事は非常に喜ばしい事なのですが)。
とにかく。今回は残念ながらもメダルには手が届かなかった浅田選手ですが、ショートで16位と出遅れながらも心が折れずに最後まで自分らしい演技をするという事を諦めずに、最高の演技をフリーで見せてくださった事や、メダルを取っていないにも関わらず、メダリストはもちろん、世界のメディアからも称賛されるほど、というのはメダルという目に見える結果とは別に目に見えない 心で感じる事の出来るもっと違った「勝利」があり、諦めずにやる事と努力をした報酬は自分に返るという大切な事を改めて教えてもらいました。
もちろん、メダルが取れればそれに越した事はありませんが、やっぱり、「メダル」にばかりとらわれて、自分らしさを失うというのは、本末転倒ですし、メダルを取る実力もないのに取ってしまったとしたら、労せずして得る物は、自分にとって精神的な負担にもなるでしょうし、それ以上を望んで自分で努力することも辞めてしまうかもしれません。
やっぱり、自己を向上するためには「悔しい」と自分自身に対して「自分はもっと出来るのに」と絶対的な自信を持つ事は必要だな。と。
努力をするのが嫌いな私なのですが、今回の浅田選手の結果を見て、少しは努力しなければいけないな。と、努力することの意味を改めて教えてもらいました。
あと。個人的には町田選手 の知名度と人気が上がった事が今回のオリンピックで嬉しかった事です。
NHKオリンピックの応援ソングの話が最後に。(←お前はやはりそのことか。とか言わんといてください)。













「メダルとか対外的な評価なんて気にせずに、その時持てる自分の力を出し切って、自分が満足できる結果を残して」という「今、咲き誇る花たちよ」のあの歌詞どおりの結果に、今花を聴く度に心が震えます。
初めてコブクロのファンになった曲が「ここにしか咲かない花」だっただけに、コブソンで「花」とタイトルについている曲には自分弱いんだな。と実感。(『リンゴの花』も好きやしなー)

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真野 清也
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絵を描く。ゲーム。音楽全般。
自己紹介:
自称永遠の23歳。主成分・変態。なゲーム・アニメ・漫画・声ヲタのブログ。
声・(髪の)毛・カワイイ・腰・コブクロの5Kフェチ。
好き(敬称略)→コブクロ・フェレット・トランペット・動物・自由・WILD ARMS.逆転裁判・BLOOD+・VitaminX(T6寄り)・VitaminZ(GTR+寄り)・羅川真里茂・一色まこと・三上博史・竹野内豊・役所広司・梁田清之・森川智之・宮本充・杉田智和・巨大ロボットがバッタバッタと悪者を倒すようなアニメ。などなど。

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